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明治コンサルタントの歴史

当社は、昭和36年に明治期創業の明治鉱業株式会社の地質部として発足し、その後、明治建設興業の地質部へと引き継がれ、昭和40年4月28日に明治コンサルタント株式会社として独立し設立されました。

明治コンサルタントのあゆみ

1961年(昭和36年)8月1日 明治鉱業株式会社地質部として発足。
1965年(昭和40年)4月28日 明治コンサルタント株式会社設立。
本社:東京都中央区八重洲6丁目1番地(福岡ビル)
1965年(昭和41年)4月10日 社内報創刊号にて“社章決定”が紹介された。これの周囲の輪はコンサルタントのCを上弦の月になぞらえたもので満月に至る(発展)という願いが込められています。
社章
1970年(昭和45年)10月20日 本社、東京都港区西新橋3丁目24番1号(御成門コープビル)に移転。
1975年(昭和50年)5月1日 創立10周年記念式典挙行。
1980年(昭和55年)5月1日 創立15周年記念式典挙行。
1981年(昭和56年)4月1日 本社、東京都港区芝大門1丁目1番32号(ドッケンビル)に移転。
1985年(昭和60年)5月1日 創立20周年記念式典挙行。
1992年(平成4年)9月14日 本社、東京都江東区新大橋1丁目8番11号(三井生命ビル)に移転。
1995年(平成7年)4月26日 創立30周年記念式典挙行。
その記念事業として“サービスマーク”を制定。社内公募により採用したこのマークは、大地と水、そして緑をモチーフとしたもので人と自然が共生する、豊かな環境づくりを目指す弊社の想いが込められています。
サービスマーク
2002年(平成14年)5月7日 本社、東京都江戸川区臨海町3丁目6番4号(BECビル)に移転。
2006年(平成18年)4月1日 本店を北海道札幌市中央区南7条西1-13(第3弘安ビル)へ移転。
2017年(平成29年)2月28日 国際航業株式会社の子会社となる。
1965年(昭和40年)
1965年(昭和40年)
<写真上> 創業当時の本社事務所のあった福岡ビル
<写真下> 福岡ビル周辺(左下は東京駅)
1970年(昭和45年)
1970年(昭和45年)
東京・西新橋時代の本社・東京支店
1980年(昭和55年)
1981年(昭和56年)
本社移転
東京都港区芝大門1丁目1番32号(ドッケンビル)
1992年(平成4年)
1992年(平成4年)
本社移転
東京都江東区新大橋1丁目8番11号(三井生命ビル)
2002年(平成14年)
2002年(平成14年)
本社移転
東京都江戸川区臨海町3丁目6番4号(BECビル)
2006年(平成18年)
2006年(平成18年)
本店移転
北海道札幌市中央区南7条西1-13(第3弘安ビル)

明治鉱業株式会社って?

明治鉱業株式会社は、安川敬一郎氏が創業した九州・北海道に鉱山を持つ炭坑会社です。戦時中は石炭大手8社(三井、三菱、住友、古河、北炭など)の一員として日本のエネルギー界に貢献しました。その後は石油によるエネルギー革命と石炭埋蔵量の枯渇により、昭和44年に解散が決議され、70年にわたる歴史を閉じました。
その間に明治建設興業、明治興産、明治製作所、明治大理石、当社などの子会社の育成に努めました。

大正8年、戸畑に建設した明治鉱業本社
大正8年、戸畑に建設した明治鉱業本社

安川敬一郎氏って?

安川敬一郎氏
安川敬一郎氏

安川敬一郎氏は黒田藩の30石の藩士、徳永省易の四男で安川岡右衛門に婿入りし、1877年(明治10年)に芦屋で石炭販売業を始め、これがのちの明治鉱業の礎となります。
敬一郎氏は、明治鉱業の他に安川電機、九州製鋼、明治紡績、黒崎窯業、などを創業しています。また明治40年には東大総長であった山川健次郎氏を迎え、「技術に堪能なる士君子を養成する」という理想のもとに明治専門学校を創立しました。協議員の一人として、東京駅の設計で著名な辰野金吾博士を迎えています。同校はその後、国立の九州工業大学となり、現在に至っていますが、同窓会の「明専会」や学生寮の「明専寮」に明治専門学校の名前を留めています。この他にも、附属の小学校(現明治学園小学校)を開校しました。また敬一郎氏の二男の松本健次郎氏は、明治鉱業社長から日本工業倶楽部理事、石炭統制会会長、日本経済連盟会長(経団連)などを歴任しました。

関連リンク
安川敬一郎氏(フリー百科事典「Wikipedia」)
山川健次郎氏(フリー百科事典「Wikipedia」)
松本健次郎氏(フリー百科事典「Wikipedia」)
辰野金吾博士(フリー百科事典「Wikipedia」)
明治鉱業(フリー百科事典「Wikipedia」)

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